桜島観光スポット
道の駅さくらじま
道の駅 桜島は、鹿児島県のほぼ中央、錦江湾に浮かぶ桜島の玄関口にあり、 周辺に絶景の桜島を堪能できる体育・観光施設が整備されています。総合交流ターミナル施設「火の島めぐみ館」では、 新鮮な地元農産物等の展示即売や桜島にしかない郷土料理が楽しめます。
溶岩グラウンド・桜島多目的広場
桜島総合体育館に隣接しており、3つのグラウンドをあわせて81,600㎡と鹿児島県内でも類を見ない広さをもつ多目的グラウンドです。サッカー・ソフトボール・陸上競技・レクリエーションやさまざまなイベントなどに利用されています。
溶岩なぎさ遊歩道
桜島フェリーターミナルから西へ広がる大正溶岩地帯の海岸一角から烏島展望所までの約3kmにわたり遊歩道が続いています。ジョギング、サイクリングコースとしても格好のスポットです。周辺には角川照子・春樹の親子句碑をはじめ有名俳人の句碑が立ち並んでいます。
湯之平展望所
桜島の4合目あたり・・北岳の標高373m地点にある展望所です。眼前に引ノ平、御岳がそそり立ち、噴煙を上げる南岳の反対側には溶岩原が広がっています。天気のよい日は遠く北には霧島連山、南に秀麗な開聞岳まで一望できます。昼間は観光客でにぎわっています。夜は鹿児島市街地の夜景を楽しむことができ、今年の9月には桜島歩こう会主催の第2回湯之平ナイトウォーキングが開催されています。
桜島自然恐竜公園
桜島自然恐竜公園は桜島港裏の高台に位置し、車で約5分。桜島や錦江湾の様子が一望できる見晴らしの良いところです。公園にはアスレチック遊具や実物大の恐竜像などが立っていて、家族連れの方におすすめのスポットです。また公園内には460本の桜があり、春には満開の桜を見ながらお花見も楽しめます。
烏島展望所
大正3年の大噴火では、噴煙が約8,000mも上昇、約1ヶ月にわたり30億tもの溶岩が流出しました。このときの溶岩流によって、桜島は大隅半島と陸続きとなり、沖合い500mにあった烏島が呑みこまれ、完全に埋没しました。現在は桜島フェリー発着所から約2kmの大正溶岩原内に、桜島山と錦江湾を一望できる展望所として整備され、記念碑が建てられています。
記念モニュメント:叫びの肖像
2004年8月に開催された「長渕剛 桜島オールナイトコンサート」は、全国から7.5万人ものファンが集まる一大イベントでした。ファンの呼びかけや地元企業の協力により、彼の功績を称えてこのモニュメント・叫びの肖像が出来ました。約50tもの桜島溶岩を使ったこの巨大なモニュメントは「大成浩」さん作。桜島の新たな観光スポットとして多くの人々が訪れています。
桜島焼窯元 桜岳陶芸
わが窯元もちょっと紹介・・。桜島の火山灰と温泉水を利用した、桜島でしか作ることのできない桜岳陶芸独自の焼き物「桜島焼」。女性だけで運営している窯元です。当窯元では、陶芸品の制作・販売、焼酎などの酒類販売のほかにも陶芸体験教室も行っております。桜島観光の際には是非お立ち寄り下さい!
野尻川
桜島では土石流から人々を守るために砂防事業が行われています。その代表と言えるのが野尻川です。桜島は、常に活動を続けている活火山であるため、斜面は樹木が育たずにむき出し状態で、火山噴出物が厚く堆積しています。このために、少量の雨でも土石流が発生しやすくなっています。普段は水なし川ですが、噴火時に溶岩が、大雨の時には雨水の通路になります。上流部の右岸側には、砂防事業の説明板や災害がなくなることを祈った防災祈願碑などがあります。右岸側にある桜島国際火山砂防センターの2階には、野尻川の渓流保全工の全体のようすをながめることができる「土石流観察ゾーン」があります。
桜島国際火山砂防センター
桜島国際火山砂防センターは1999年(平成11年)6月にオープンしました。展示施設だけでなく、土石流や火山活動に関する情報を集中的に管理し、警戒や避難に役立てる「集中監視施設」と、災害時には避難場所として利用する「避難施設」としての面を持っており、世界的な火山「サクラジマ」についての情報の集約と提供をする国際的な施設で、海外から多くの研究者や研修生、観光客が訪れています。
幸田文 文学碑
明治の文豪幸田露伴の次女、作家である幸田文は72歳の時、「大谷崩れ」を見て偉大な自然の力に深い感慨を覚え全国の大崩壊地=崩れを巡り始めました。昭和52年に桜島を訪れ、爆発記念碑をはじめ、上砂に埋め尽くされた黒神川などの各地の印象を「崩れ」に書き残しています。その記念の文学碑が平成16年1月、桜島・野尻川河岸に「桜島を想う会」によって建立されました。この文学碑には野尻川の土石流で運ばれた石が用いられています。
林芙美子 文学碑
古里温泉郷の温泉街の中央の丘の上に、女流作家・林扶美子の文学碑があります。小説「放浪記」「浮雲」などで知られる林扶美子の母親は桜島の出身で、扶美子も当地で一時期を過ごしました。この母の出身地である古里町に、銅像2体と「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」と刻んだ文学碑が建てられています。
有村溶岩展望所
1946年の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘全長1キロに及ぶ溶岩遊歩道の途中にあり、360度広がる眺めが望めます。有村溶岩展望所から見られる溶岩は、1914年(大正3年)に起こった桜島の大噴火により噴出したもので、この時は約2キロ立方米の溶岩流や火山灰が噴出し、島内の5集落が溶岩流に埋められました。この噴火の前までは桜島は錦江湾に浮かぶ島でしたが、噴火による溶岩流により大隈半島側と繋がり陸続きとなりました。
黒神埋没鳥居
桜島の東端に位置し、火口の風下にあたることが多いため噴石や火山灰による被害が特に大きい地区黒神にあります。大正3年(1914年)1月12日の大爆発は、黒神一帯を火山灰、軽石等で埋めつくしました。その際、原五社神社の鳥居は上部だけを残して埋まってしまいました。神社本殿は灰の下に眠っています。当時の村長さんは、この鳥居を大噴火の記念物として後世に残すことにし、昭和33年に県の文化財(天然記念物)に指定されています。
アコウ群(天然記念物)
暖地の海岸に生えるクワ科の常緑高木で、高さは20mにもなります。葉は長形で葉柄が長く、花期は4~5月であり、イチジクに似た実がなります。武、藤野、西道、松浦の海岸沿道に見られます。石垣に根をしっかり張り、常緑の枝で道路を覆っているその姿は壮観です。旧桜島町指定文化財。
桜島爆発記念碑
桜島爆発記念碑は鹿児島市東桜島小学校の校庭の奥にあります。
大正3年1月12日午前10時5分、桜島西側中腹から黒い噴煙が上がり、その約5分後、大音響と共に大噴火が始まりました。噴火の前兆となる現象が頻発し始めた1月10日夜から住民の間で不安が広がり、地元の行政関係者が鹿児島測候所に問い合わせたところ、地震については震源が鹿児島市北部であり白煙については単なる雲であるとし、桜島には異変がなく避難の必要はないとの回答でした。しかし翌日になると住民の中に避難を始める者が出始めました。桜島東部の黒神、瀬戸、脇、桜島北部の西道、松浦では地域の青年会が中心となり避難が進められました。一方、鹿児島市街地に近い桜島西部の横山周辺は測候所の見解を信頼する者が多かったため避難が遅れ、噴火開始直後から海岸部各所に避難しようとする住民が殺到し大混乱となったのです。
桜島東側の瀬戸海峡は海面に浮かんだ軽石の層が厚さ1m以上にもなり、救護船による避難は困難を極めました。混乱によって海岸から転落する者や泳いで対岸に渡ろうとして凍死したり溺死したりする者が相次ぎました。
この教訓から、鹿児島市立東桜島小学校にある桜島爆発記念碑には「住民は理論を信頼せず異変を見つけたら未然に避難の用意をすることが肝要である」との記述が残されており、「科学不信の碑」とも呼ばれています。